『EP1(ゆめみたい)』前説:中野成樹+長島確トーク(4/6)

(撮影:鈴木竜一朗)

■モダニズム的、一本道?(そして2.5次元演劇)

中野:そのワーグナーに行き着く転換点みたいなのが、モーツァルトとベートーヴェンの間にあって、そこで主従関係、雇われの関係が逆転して、アーティストが一番尊くて代えがたいものである、というふうになっていった。アーティストは偉いんだ。

長島:偉くなったんです。ただ、ベートーヴェンも、自分のつくりたいものをつくってそれにスポンサーがつくという関係はよかったのでしょうが、その一方で、苦労もあったと思います。その証拠に作品の数がつくれなくなる。なぜかというと、職人は、何か頼まれれば高いクオリティーで似たようなものを量産して納品すればいい。それが「いい仕事」なのでOKなんです。でもアーティストは、新しい表現、自分にとっての新しいチャレンジを更新し続けないといけなくなるので、当然、似たようなものを量産できなくなります。その結果、モーツァルトは交響曲を41曲、ハイドンは100曲以上書けたのに、ベートーヴェンは9曲しか書けなかった。1曲1曲を新しいチャレンジにしてしまったせいで。それは地獄ですよね。自分で何かを更新し続けた結果、9曲。それでもベートーヴェンは9曲も書いたけど、ブラームスは4曲しか書けていない。

中野:じゃあ、マーラーは頑張ったんだね。

長島:10曲書けましたから。

中野:後世でカウントできるギリギリの10個みたいな。

長島:そういう、ある種のジャンルを食いつぶしてしまうというか、使いつぶしてしまうようなことが、アーティストであることとセットになってきて、それは大変だなと思いました。新しさという言葉はいまさらベートーヴェンには合わないかもしれませんが、ジャンルの特性みたいなものに対して負荷をかけて、そこを更新しようとし続けるとやばいです。おそらく現代音楽や美術にもつながる考え方……最近、僕もようやく分かってきたんですが、モダニズムと呼ばれるものが問題で。モダニズムというのは――グリーンバーグという有名な批評家がいますが、例えば絵画だったら絵画自体のメディアの特性みたいなものは何かと考えたときに、それは平面、線、面、色というふうに、そのメディア特有のメディウム、媒体特性に自意識を持ってチャレンジしていくというような考え方が、ジャンルによって時差はあれ、19世紀後半から起こってくるんです。絵画だったら「絵画とは何か」となるし、ダンスだったら「ダンスとは何か」「動きとは何か」「身体とは何か」、音楽も「音響や音とは何か」。とにかくそのジャンルなりにメディウム自体を自覚的に攻めて更新していくような。その意味で言えば、演劇にしろ小説にしろメディウムへの自意識に囚われたベケットなんかも、典型的なモダニストだと思います。その方向に行きたくなる気持ちは分かるのですが、先がない暗い狭い行き止まりの道なんです。その方向で何か新しく更新をしようとする限り、創作はとにかくつらい苦行なようなものになっていかざるをえないんです。

中野:それは例えると、料理は食べないで栄養素を注射するみたいなことですよね。食事は栄養だからって。

長島:概念的には理解できて、確かにそうだと思っておもしろくも思うけれども、本当におもしろいのか、意味があるのか、そこは少し立ち止まって考える必要があると思います。新しさの更新みたいなことも大事だし、毎回同じものをつくっているとつくっているほうも飽きるし、だるいし、チャレンジやリフレッシュは必要なのですが、その狭い暗い一本道を掘り進む競争みたいなことは、やはりきついと思うんです。

中野:分かります。すごく難しいですね。かといって、逆に振って大衆性みたいなものに特化するのも何か弊害があるような気がします。

『EP1(ゆめみたい)』公演写真(撮影:鈴木竜一朗)

中野:話がそれるかもしれませんが、この間、大学の授業で、2.5次元演劇の演出をしている松崎史也くんという後輩を特別講義に招いて2時間ぐらい対談をしました。これは半分ふざけて言っているのですが、もうボコボコにK.O.されました。

例えば、僕が「ハムレットは実在しないわけだから正解はない。でも一方で、2.5次元演劇は原作の漫画があって…」と言ったときに、食い気味に「中野さん! 中野さんにこそ言いたい! それは間違いです! 2.5次元は、別に正解に寄せるための演劇じゃないですから!」と言われました。原作の漫画があっても、そのどこにドラマがあって、どう演劇にしていくのかということをやっているから、それは古典戯曲をやるのと変わらない、と。中野が『ハムレット』をやるのと、松崎がアニメ・漫画やゲーム原作のものをやるのとは全然変わらないのだということを強く指摘された。その通りだと素直に思いました。

さらにそのあと「じゃあ、全然見たことがない人に、おすすめの2.5次元演劇、あるいは絶対に見てはいけない2.5次元演劇を教えて」と僕が聞いたら、「みんな、好きな原作のを見ればいいんじゃない!」と言った。その瞬間、またその通りだと思いました。僕もチェーホフ好きだからチェーホフを見に行くし、『ハムレット』をやっているから『ハムレット』を見に行くし、同じことが起こっているだけと考えたとき、チェーホフが好きな人の数と、とあるアニメやゲームが好きな人の数では、日本では4桁ぐらい数が違うんじゃないかって思って。そこで行われているつくり方がもし一緒なのであれば、数が多いほうが業界的にはいいよね、ともね。もちろん数が少ないことが悪いとは決して思わないけど。でも、好きなものを見ればいいって、当たり前なんだけど、強烈な言葉でもあったなあ……。

その後も終始押されっぱなしでどうしていいか分からなくなって、最悪の手段で、「でも、現代演劇が好きな人は2.5次元演劇も見るし、伝統芸能も新劇も全部見るけれども、2.5が好きな人は2.5しか見ないでしょう?」とか僕が言ったら、「だから! 好きなもの見ればいいんだよ! ねえ?」って彼は学生に微笑みかけていて、今日勝つのは無理だなって(笑)。

プロデューサーや会社は相当マーケティングしているんだろうけど、実際につくっている現場は、純粋におもしろい演劇をつくるのに夢中になってるんだろうなって想像できた。あと、俳優はそこに出れば知名度も上がるしお金も稼げる場所になってきているから、若くて格好いい男の子たちがオーディションに沢山来るようになっているみたい。すると当然、そこで可能性あるいい人材を採ることもできるし、レベルもすごくアップしていて、本番をやることによってさらにレベルアップして、礼儀作法も気持ちがいい人が多いそうです。

話をつなげると、さっき長島さんが言っていた、一本道。ジャンルの特性みたいなものに疑いをかけて、ひっくり返す可能性を示唆しながらもどんどん細い暗い道へ進むその反対側には、普通に演劇を楽しんでいる現在進行形があるんだということを思い知りました。「好きなものを見ればいいんだよ」というのは、この2022年という時代ではごく当たり前の発言で、それに対して「結局、推しの俳優が出ている舞台しか見ていないんでしょう?」と非難するのはあり得ない話だと思いました。でも、どうにか史也に言い勝ちたいから2.5次元演劇を見はじめてもいます(笑)。

一般社団法人なかふら/中野成樹+フランケンズ

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