『EP1(ゆめみたい)』前説:中野成樹+長島確トーク(1/6)

(左:中野成樹、右:長島確)

中野:さて、今から長島さんとお話をします。いつもは、劇場で前説的にやっていましたが、今回はさすがに東京芸術祭の方がお忙しいでしょうから、こういった形で……。まず、いくつかの話をして、その流れで『ハムレット』を20年かけて行う『EP1(ゆめみたい)』の話ができればと。つながりますかね?

長島:(疑いなく)大丈夫でしょう。


■ハラスメントのこと、作品のこと

中野:じゃあ、いきなりですけど、最初にしておきたい話題があって。それは、ハラスメントのことです。演劇業界も、遅ればせながらなのかもしれませんが、とても意識が高くなってきている。

長島:はい、やっとです。

中野:僕は演劇業界にいて、かつ大学の先生として教育の場にもいますが、「注意しなさい」「学びなさい」という案内がかつてないほど頻繁に来ます。

長島:昔ながらのある「やり方」があって、その中で起こっていた、暴力的な振る舞いが、「それはやはり駄目でしょう」「今それは通じません」というふうになってきています。

中野:昔は許されていたものが、なぜ今は許されなくなったんでしょう?

長島:本当は、昔も許されるべきじゃなかったんです。今、きちんと問題になってきたというだけで、昔はOKだったという話ではない。もちろん、ハラスメント問題は結構ややこしくて、簡単に片づけられない面が色々あります。パワハラとセクハラも、どちらも問題だし、つながっていたりもするけれど、対処や防止方法は違ったりする。僕は、ハラスメント問題の前には、ケア労働やシャドウ・ワークの軽視の問題があると思っています。つまり、表に見えて評価につながる仕事の影に、見えないところに、正当に報われない、見えない仕事が大量にあって。それはフェアじゃなくて。その辺をどうしていくのかを考えないと続けられないってみんなが感じている。持続可能性というか。

中野:ここしばらく、よく聞く言葉ですね

長島:そこをおろそかにして、雑に扱って、犠牲を強いていくと、人がつぶれてその場から離れていっちゃう。それで結局、そこは滅びちゃう。そのことがはっきり見えてきたんだと思います。

中野:なるほど。

長島:一般的な大企業であれば、コンプライアンスやハラスメントに関する研修がすごくしっかりされてきていて、中の人たちはきちんと教育を受けているけど、演劇はそれに比べると遅れていて、明らかに取り残されている人もたくさんいる。そうしたときに、「それは駄目でしょう」という事例が相対的に目立ちはじめているのだと思います。

中野:僕は劇団を主宰していて、かつ演出という立場で創作活動をしていると、ちょっとしたときに「まずい、いま俺、ハラスメントしてるじゃん」と不安を感じることがずっとあって。どうにかしなきゃと思って、長島さんをドラマトゥルクに招いたり、同期の洪くんに劇団員になってもらったり、妻である水渕を制作にむかえたりして、自分のやり方に対して「それは駄目!」と言ってもらえる人が少しずつ増えました。長島さんや、亡くなった熊谷保宏さんに正式に加入してもらったのが2011年くらい。逆にそれ以前は、独りよがりになって、暴力的になって、思うように作品もできないし、外からの評価も集められず、どうしようもない苛立ちや焦燥感がすごくあった。それを好き勝手に、態度や振る舞いで表明できてしまう相手が目の前にいて。演出家と役者、あるいは主宰と劇団員という関係で……。でも、メンバーの目がすごく冷たくなっていったり、その頃勤めていた学校でも学生から指摘されたりして……。そういった独りよがりを反省しはじめたときから、作品が自分の中で納得できるものになっていったり、ありがたいことに外から評価をもらえるようになっていった気がしてます。これは何なんだろう? でも、すごく色々なものにつながっている気もして。

長島:ポイントは、尊厳を守れるかどうかだと思うんです。それは、演出家や劇作家の尊厳ももちろんだけど、俳優やスタッフの尊厳も同じように大事で。そこに分け隔てがあるとひずみが生じて変なことになる。ハラスメントというのは、もちろん身体的な暴力も含まれるけど、やはり尊厳が傷つけられることが問題のポイントであって、尊厳をきちんと守ること、万が一傷つけてしまったらきちんと回復することが必要で。僕の理解では、そもそもアーティストは尊厳をかけて、尊厳のために活動しているはずで、それをかけてなければ、こんなにコスパの悪いことをやるはずがないだろうって思っています。そして集団創作の場合、そこにかかってくるのは主宰の尊厳だけじゃない。集団の内側で自分以外の人の尊厳をおろそかにするとアウトだし、主宰を名乗るなら、どうやって一緒にやっている人たちの尊厳をきちんと守っていけるか。変にカルトみたいにならずに、外に対してもきちんとそのリスペクトを提示できるかが、分かれ道なのかな。

中野:分かれ道?

長島:僕は25年ぐらい演劇の現場に関わってきて、中野さんと組み始めても15年ぐらいになりますが、2000年代の後半に、そのあたりのことに意識が向き始めた人とそうじゃない人と、分かれ道があった気がしています。僕個人の活動がどうこうではなく、いま思えばドラマトゥルクという役割の導入も、もしかしたらそこがポイントだったのではないかと。アーティストが独裁で、唯我独尊でつくるのではない、という集団創作のかたちを探り始めることと、人の尊厳を守れるかという問題は結構つながっている気がする。

中野:なるほど。たまに学生に「中野先生は、尊敬している人はいますか?」なんて聞かれることがあって。これは格好つけているわけじゃなくて、「劇団員のことは全員尊敬できる」って、いつの頃からか自然に答えられるようになってた。尊敬できるから対等でいたいと努力できる。これって恵まれすぎだなって思うし、迷惑をかけ続けていただろう過去の自分が本当に恥ずかしい。でも一方で、劇団員に対してそういった心持ちになったことで、創作者として手放したものもきっとあるのだろうなって考えたりもしちゃう。もう少し冷酷な立ち振る舞いを続けていれば、今頃、俺たちもっと社会的地位とか、経済的にも恵まれた場所にいたんじゃないか、とかね。

長島:そこはいろいろでしょうね。グラデーションもあるし。でも、やっぱり暴力はどうあれ駄目、というところはあると思います。

『EP1(ゆめみたい)』稽古風景

中野:例えば、ものすごくハラスメントだらけの創作現場で、強靱なトップが一人いて、あえて才能と言うけれども、その才能でもって周りを傷つけながらもすばらしい作品をリリースし続ける。そして、そこで生まれる作品は間違いなくこの世に必要な芸術であった、みたいなことは起こり得るのかな……?

長島:起こり得ないと思います。

中野:おお、力強い……!

長島:そういうふうにしてつくったものは、少なくとも僕は全然認めない。評価しません。たとえば法律や倫理を超えるところに芸術の価値がある、というような考え方があるかもしれないけど、そのために他者が犠牲になってもやむをえないというような考えを、僕は全然信じていない。

中野:じゃあ例えば、ヤバい薬を使ってハイになってプレイしたギターがすごいというようなことも、基本的にはあり得ない?

長島:法律は不変のものではないですし、それ以上に僕のポイントは、自分でやるか人の体にやらせるかというところにあります。自分の体でやる限りは止めないけど、人の体でそれをやるなという話です。

中野:なるほど、人の心身に影響を及ぼすなということ。

長島:影響というより、侵害するな、毀損するな、ということかなあ。自分の体にタトゥーを入れるのであれば全然構わないけれども、自分の作品として人の体にタトゥーを入れるなという。要するに、他者は素材ではないし、道具でもないという話で、「私はおまえの創作の材料ではない」ということかな。

中野:去年、鈴木励滋さんにお願いしたインタビューでも言ったけど、一緒にものをつくる相手は素材でも何でもない、それ当たり前なんですよね。でも、何らかの理由で周りが見えなくなるとひどい振る舞いをしてしまう。だったら、その見えなくなる理由を探さないといけない……って思います。


一般社団法人なかふら/中野成樹+フランケンズ

カテゴリー

アーカイブ

New title

  • © 2012 Shigeki Nakano+frankens All rights reserved. 
    [contact:info@frankens.net]