「四谷怪談異説」の異説

 さて、綺堂さんの「四谷怪談異説」である。南北の『東海道四谷怪談』をはじめとする怪談物としての「四谷怪談」に対し、人情話としての「四谷怪談」も実際はありえたのではないかを考察する短い文章である。私は、フェスティバル/トーキョー13『四谷雑談集』+『四家の怪談』の際にはじめて読んだ。その時は「四谷怪談」に対する新しい知識(およびいくつかの書物で言及されていた「人情物としての四谷怪談」への出自)に触れ、へえ〜! と思った。しかし、今あらためて読んでみると、四谷怪談とは関係なくどうにも好きな箇所が見つかってしまった。綺堂は、おどろおどろな「四谷怪談」とは違う、「人情話・四谷怪談」の説を見いだし、確認し、整理した後にこう続ける。

    この説もかなり有力であったらしく、現にわたしの父などもそれを主張していた。ほかに四、五人の老人からも同じような説を聴いた。(「四谷怪談異説」より)

 私はこの文章を読み、ふいにほっとしてしまった。そこには「平穏」があった。なんということはない、様々な見方のできる「四谷怪談」に対し私の父はこの説を支持していた、というだけの話である。だがそこに、「俺はこう思う!」を堂々と言える父親の安心感と甘え、それをわかってやれる家族の優しさと知性があるように思えた。そして、かすかに感じられる父の仲間。そして階級の存在。

 まったく私事なのだが、今年はなんとも激動な年で、1月にはじめて長男が生まれ、9月に親父を亡くした。そこでつい、こんなことを思ってしまうのだ。「自分の子供がもし将来こんな一節をどこかにサラリと書いてくれたら、俺、涙とまらないだろうなあ……」などと。そしてこんなことも思う。「俺は親父から何を受け取れたのかなあ……何を引き継げたのかなあ……」と。さてでは、遠慮なしに、子どもに自分の考えを聴かせてみようかと試みるが、どうも、何かに遠慮している。

 平穏、安心感、甘え、家族、優しさ、知性、仲間、階級。『半七半八(はんしちきどり)』は、ランダムに並んだそれらの半端さをふんだんに抱え込んだ作品かと思う。冷静スマートな綺堂に謝らなきゃいかんな……という、ね。

‐---------------------------「四谷怪談異説」の異説 中野成樹 2017.10.1

「四谷怪談異説」  岡本綺堂

 四谷怪談といえば何人もおなじみであるが、扨(さて)その実録は伝わっていない。四谷左門町に住んでいた田宮伊右衛門という侍がその妻のお岩を虐待して死に至らしめ、その亡魂が祟りをなして田宮の家は遂にほろびたというのが、先ず普通一般に信じられている伝説である。しかもそんなたぐいの話は支那に沢山あるから、お岩のことも矢はり支那から輸入されたものではないかと思われるが、現に江戸時代には左門町にお岩稲荷があり、今日でも越前堀に田宮稲荷が現存している以上、まったく根拠のないことでもないらしい。

 それに就いて、こういう異説がまた伝えられている。お岩稲荷はお岩その人を祀ったのではなくして、お岩が尊崇していた神を祀ったのであると云うのである。即ち田宮なにがしと云う貧困の武士があって、何分にも世帯を持ちつづけることが出来ないので、妻のお岩と相談の上で一先ず夫婦別れをして、夫はある屋敷に住み込み、妻もある武家に奉公することになった。お岩は貞女で、再び世帯を持つときの用意として年々の給料を貯蓄しているばかりか、その奉公している屋敷内の稲荷の社に日参して、一日も早く夫婦が一つに寄合うことが出来るようにと祈願していた。それが主人の耳にもきこえたので、主人も大いに同情して、かれの為に色々の世話を焼いて結局お岩夫婦は元のごとくに同棲することになった。

 主人のなさけも勿論であるが、これも日ごろ信ずる稲荷大明神の霊験であるというので、お岩は自分の屋敷内にも彼(か)の稲荷を勧請して朝夕に参拝した。それを聞き伝えて、自分たちにも拝ませてくれと云う者がだんだんに殖えて来た。お岩はそれを拒まずに誰にもこころよく参拝を許した。その稲荷には定まった名が無かったので、誰が云い出したともなしにお岩稲荷と一般に呼ばれるようになった。こういうわけで、お岩稲荷の縁起は、徹頭徹尾おめでたいことであるにも拘らず、講釈師や狂言作者がそれを敷衍して勝手な怪談に作り出し、世間が又それに雷同したのである。お岩が鬼になったから鬼横町であるなどというのも妄誕不稽で、鬼横町などという地名は番町にもあるから証拠にはならない。

 この説もかなり有力であったらしく、現にわたしの父などもそれを主張していた。ほかに四、五人の老人からも同じような説を聴いた。してみると、お岩稲荷について、下町派即ち町人派の唱えるところは一種の怪談で、山の手派即ち武家派の唱えるところは、一種の美談であるらしい。尤もその事件が武家に関することであるから、武家派は自家弁護のために都合のいい美談をこしらえ出したのかも知れない。怪談か美談か、兎もかくも一説として掲げて置く。勿論、南北翁の傑作に対して異論を挾さむなどと云うわけでは決して無い。

底本:「綺堂随筆 江戸の思い出」河出文庫、河出書房新社
2002(平成14)年10月20日初版発行
底本の親本:「綺堂劇団」青蛙房
1956(昭和31)年2月
初出:「演劇画報」
1925(大正14)年5月
入力:江村秀之
校正:川山隆
2014年1月18日作成
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