森の途中

人生の道半ばにして暗い森に踏み迷ったのはダンテ。木の葉を隠すとしたら森に隠すのはチェスタトン。木が3つで森。森が3つでは?

今回のAプログラムでは森にゆかりの3作品を並べている。Bプログラム(作品によっては抜粋)と違って、こちらの3本は基本的に丸ごとやる予定だから、たんに《森》ワンテーマの3本立てと言ってしまえばそれでいいのだが、演目を決めた側も自覚していない、もう少し深い意味があるのではないかと、稽古半ばで考え始めている。

深いといえば、森も「深い」と形容するが、これはどういう意味だろう。深いというと何となく縦方向というイメージだが、森の場合は「奥」が深い。水平方向にディープ。

方向を問わないディープの極みに、ディープ・スペースという言い方がある。遠い宇宙を指す言葉で、日本語では深宇宙と訳す。冥王星あたりまで行くと相当な深宇宙。この言い方はたぶん深海(ディープ・シー)の連想から来ている。海のかわりに宇宙。海が深いように、見上げる宇宙も「深い」。面白いのは、海の場合は地球の中心に向かう、基準となる方向がある気がするのに対して、宇宙の深さは全方位的なところ。あっちにもこっちにも「深い」。だから深宇宙探査は、中心に向けて潜っていくようなものではなく、方向はどっちでもいいから、どれだけ遠くへ行けたかの挑戦。

つまり宇宙の深さは、われわれのふだんの生活空間からの距離によってのみ、測られる。正しいひとつの方向があるわけではない。とにかくどんな方向にだって、宇宙はディープでありうる。

ならば森の深さも、じつはそういうもの? 森に深く分け入ることは、中心や奥を目指すわけではなくて、たんにわれわれの日常から遠く離れるってこと?(海の深さもそうとも言える。)またこれは、演劇にも言えること? ディープな演劇があるとしたら、別に内面や根源に向かっているわけではなく、たんにふつうの人の暮らす日常から、さまざまに遠いってこと?

もちろん演劇は、必ずしもディープさを競う競争ではない。あえて日常から遠くない、浅い浅い、森の入口で行われることもある。そして日常の現実に喰われることもある。

Aプログラムの3つの森が、どんな深さかまだわからない。つながっているか、別々なのかもわからない。深さがわかったところで、今回の上演が、日常からどのくらい遠く離れるかもまだわからない。本番まであと1か月。Aプログラムをお楽しみに。

*森本薫およびモリエールの作品中に森は登場しません(作者の名前にだけ)。

「森の途中」(★★★★★ わからなくてもまったく問題ないです…) by ドラマトゥルク:長島確

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