「半七紹介状」の紹介

『半七半八(はんしちきどり)』無事に全公演終了いたしました。
ご来場くださったみなさま、協力してくださった松戸の方々、パラダイスエア、フェスティバル/トーキョー、スタッフ、気にかけてくださった方々。
すべてのみなさまに感謝します。

そして「今週の綺堂」も最終回。
最後に「半七紹介状」を紹介します。

岡本綺堂「半七捕物帳」の成り立ちについて書かれたものでは、「半七捕物帳の思い出」*が有名ですが、もうひとつがこの「半七紹介状」です。
江戸のまちなかで出会った老人。その人の語ってくれた捕物の話。
「半七捕物帳」はその素材をもとにしつつ描かれたようです。
まちの描写やふたりの会話もなかなか粋で、綺堂の好きなうなぎの話までしっかり書かれています。

『半七半八(はんしちきどり)』は「半七捕物帳」とはまったく別のお話です。なのでその老人や綺堂は、直接的には『半七半八』とは関係がありません。
ただ、過去にいた彼らの気配のような、見えない心意気のような、情のような。どこかに漂っているそれらを、無視はしていない。はずです。
その老人(1823生まれ)と綺堂は東京(江戸)で出会い、
綺堂はその後「半七捕物帳」を書き(1917年~)、
そしてわれわれ(2017年)は縁あって『半七半八』を、松戸で上演することができました。

過去へ過去へと遡る『半七半八』の物語は、
いまわれわれがいる時間や場所から、過去にいた彼らにちょっとでも出会おう(実際にはもちろん無理ですが)とすることでもあったかもしれません。
とか、江戸川を眺めながら、しみじみ思ったのです。

老人さん、綺堂さん。
われわれ松戸で『半七半八(はんしちきどり)』、やりましたよ。
いつかまた、お会いしましょう。

*「半七捕物帳の思い出」▶︎青空文庫

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「半七紹介状」の紹介 東 彩織 2017.10.11

「半七紹介状」 岡本綺堂

 明治二十四年四月第二日曜日、若い新聞記者が浅草公園弁天山の惣菜(そうざい)(岡田)へ午飯(ひるめし)を食いにはいった。花盛りの日曜日であるから、混雑は云うまでも無い。客と客とが押し合うほどに混み合っていた。
 その記者の隣りに膳をならべているのは、六十前後の、見るから元気のよい老人であった。なにしろ客が立て込んでいるので、女中が時どきにお待遠(まちどお)さまの挨拶をして行くだけで、注文の料理はなかなか運ばれて来(こ)ない。記者は酒を飲まない。隣りの老人は一本の徳利(とくり)を前に置いているが、これも深くは飲まないとみえて、退屈しのぎに猪口(ちょこ)をなめている形である。
 花どきであるから他のお客様はみな景気がいい。酔っている男、笑っている女、賑やかを通り越して騒々(そうぞう)しい位であるが、そのなかで酒も飲まず、しかも独りぼっちの若い記者は唯ぼんやりと坐っているのである。隣りの老人にも連れはない。注文の料理を待っているあいだに、老人は記者に話しかけた。
「どうも賑やかですね。」
「賑やかです。きょうは日曜で天気もよし、花も盛りですから。」と、記者は答えた。
「あなたは酒を飲みませんか。」
「飲みません。」
「わたくしも若いときには少し飲みましたが、年を取っては一向(いっこう)いけません。この徳利(とっくりも)退屈しのぎに列(なら)べてあるだけで……。」
「ふだんはともあれ、花見の時に下戸(げこ)はいけませんね。」
「そうかも知れません。」と、老人は笑った。
「だが、芝居でも御覧なさい。花見の場で酔っ払っているような奴は、大抵お腰元なんぞに嫌われる敵役(かたきやく)で、白塗りの色男はみんな素面(しらふ)ですよ。あなたなんぞも二枚目だから、顔を赤くしていないんでしょう。あははははは。」
 こんなことから話はほぐれて、隣り同士が心安くなった。老人がむかしの浅草の話などを始めた。老人は痩(や)せぎすの中背(ちゅうぜい)で、小粋な風采といい、流暢な江戸弁といい、紛(まぎ)れもない下町の人種である。その頃には、こういう老人がしばしば見受けられた。
「お住居は下町ですか。」と、記者は訊(き)いた。
「いえ、新宿の先で……。以前は神田に住んでいましたが、十四五年前から山の手の場末へ引っ込んでしまいまして……。馬子唄で幕を明けるようになっちゃあ、江戸っ子も型なしです。」と、老人はまた笑った。
 だんだん話しているうちに、この老人は文政(ぶんせい)六年未年(ひつじどし)の生まれで、ことし六十九歳であるというのを知って、記者はその若いのに驚かされた。
「いえ、若くもありませんよ。」と、老人は云った。「なにしろ若い時分から体(からだ)に無理をしているので、年を取るとがっくり弱ります。もう意気地はありません。でも、まあ仕合せに、口と足だけは達者で、杖も突かずに山の手から観音さままで御参詣に出て来られます。などと云うと、観音さまの罰(ばち)が中(あた)る。御参詣は附けたりで、実はわたくしもお花見の方ですからね。」
 話しながら飯を食って、ふたりは一緒にここを出ると、老人はうららかな空をみあげた。
「ああ、いい天気だ。こんな花見日和(びより)は珍らしい。わたくしはこれから向島(むこうじま)へ廻ろうと思うのですが、御迷惑でなければ一緒にお出でになりませんか。たまには年寄りのお附合いもするものですよ。」
「はあ、お供しましょう。」
 二人は吾妻橋(あづまばし)を渡って向島へゆくと、ここもおびただしい人出である。その混雑をくぐって、二人は話しながら歩いた。自分はたんとも食わないのであるが、若い道連れに奢(おご)ってくれる積りらしく、老人は言問団子(ことといだんご)に休んで茶を飲んだ。この老人はまったく足が達者で、記者はとうとう梅若(うめわか)まで連れて行かれた。
「どうです、くたびれましたか。年寄りのお供は余計にくたびれるもので、わたしも若いときに覚えがありますよ。」
 長い堤(つつみ)を引返して、二人は元の浅草へ出ると、老人は辞退する道連れを誘って、奴(やっこ)うなぎの二階へあがった。蒲焼で夕飯を食ってここを出ると、広小路の春の灯は薄い靄(もや)のなかに沈んでいた。
「さあ、入相(いりあい)がボーンと来る。これからがあなたがたの世界でしょう。年寄りはここでお別れ申します。」
「いいえ、わたしも真直(まっすぐ)に帰ります。」
 老人の家は新宿のはずれである。記者の家も麹町である。同じ方角へ帰る二人は、門跡前(もんぜきまえ)から相乗りの人力車に乗った。車の上でも話しながら帰って、記者は半蔵門のあたりで老人に別れた。
 言問では団子の馳走になり、奴では鰻の馳走になり、帰りの車代も老人に払わせたのであるから、若い記者はそのままでは済まされないと思って、次の日曜に心ばかりの手みやげを持って老人をたずねた。その家のありかは、新宿といってもやがて淀橋に近いところで、その頃はまったくの田舎であった。先日聞いておいた番地をたよりに、尋ねたずねて行き着くと、庭は相当に広いが、四間(よま)ばかりの小さな家に、老人は老婢(ばあや)と二人で閑静に暮らしているのであった。
「やあ、よくおいでなすった。こんな処は堀の内のお祖師(そし)さまへでも行く時のほかは、あんまり用のない所で……。」と、老人は喜んで記者を迎えてくれた。
 それが縁となって、記者はしばしばこの老人の家を尋ねることになった。老人は若い記者にむかって、いろいろのむかし話を語った。老人は江戸以来、神田に久しく住んでいたが、女房に死に別れてからここに引込んだのであるという。養子が横浜で売込商のようなことをやっているので、その仕送りで気楽に暮らしているらしい。江戸時代には建具屋を商売にしていたと、自分では説明していたが、その過去に就いては多く語らなかった。
 老人の友達のうちに町奉行所の捕方(とりかた)すなわち岡っ引の一人があったので、それからいろいろの捕物の話を聞かされたと云うのである。
「これは受け売りですよ。」
 こう断わって、老人は「半七捕物帳」の材料を幾つも話して聞かせた。若い記者はいちいちそれを手帳に書き留めた。――ここまで語れば大抵判るであろうが、その記者はわたしである。但し、老人の本名は半七ではない。
 老人の話が果たして受け売りか、あるいは他人に托して自己を語っているのか、おそらく後者であるらしく想像されたが、彼はあくまでも受け売りを主張していた。老人は八十二歳の長命で、明治三十七年の秋に世を去った。その当時、わたしは日露戦争の従軍新聞記者として満洲に出征していたので、帰京の後にその訃(ふ)を知ったのは残念であった。
「半七捕物帳」の半七老人は実在の人物であるか無いかという質問に、わたしはしばしば出逢うのであるが、有るとも無いとも判然(はっきり)と答え得ないのは右の事情に因るのである。前にも云う通り、かの老人の話が果たして受け売りであれば、半七のモデルは他にある筈である。もし彼が本人であるならば、半七は実在の人物であるとも云い得る。いずれにしても、わたしはかの老人をモデルにして半七を書いている。住所その他は私の都合で勝手に変更した。
 但し「捕物帳」のストーリー全部が、かの老人の口から語られたのではない。他の人々から聞かされた話もまじっている。その話し手をいちいち紹介してはいられないから、ここでは半七のモデルとなった老人を紹介するにとどめて置く。
(昭和11・8「サンデー毎日」)

底本:「綺堂むかし語り」光文社時代小説文庫、光文社
   1995(平成7)年8月20日初版1刷発行
※「纏」と「纒」の混在は、底本通りです。
入力:tatsuki、『鳩よ!』編集部(「ゆず湯」のみ)
校正:松永正敏
2001年10月15日公開
2011年10月8日修正
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